2024/2/15
なぜ人権を守るべきなのか?
高校生の時、人のためになれる!ということで、弁護士を目指したくて、大学は法学部を選びました。
入学して、すべての法律は憲法を頂点とする人権尊重のためにあると学び、感動しました。
しかし、同時に、憲法は人権を守ることだけを目的とするものであって、なぜ人権を尊重するのかについて規定していないことも知りました。
そこで、社会人になって、人権擁護の理由を探るべく、哲学の勉強を始めました。
しかし、プラトンから始まり、20世紀初頭に至るまでの「主観性の哲学」では、ただ問い続けることにしか人権尊重の理由を示していないことを知りました。
ならば、ハイデガーが研究したプラトン以前の初期ギリシャ哲学における「存在の哲学」にその答えはあるのか?
残念ながら、その答えを求めたハイデガーは、その回答の一部にナチズムを見たのでした。そこには到底、共感できません。
では、ハイデガーが参照する初期ギリシャ哲学におけるパルメニデスはどうなのか?パルメニデスは「無いは、無い。ただ、ある」として、存在における因果関係をすべて否定しました。そして、「無いは、無い。ただ、ある」の根拠を女神に告げられた物語に求めています。
おそらく、真理を言葉で語り始めた瞬間から、その真理性は失われていってしまうのです。このことは、ヴィトゲンシュタインが「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と言い、カントが「物自体」について追究を避けたのに対応しています。
では、結局、どうすれば、人権尊重の理由を探れるのか?
1つは、無の世界の体感を目指す仏教などに身を投じてみることです。ただ、宗派が沢山あるので、現在、勉強中です。
もう1つは、真理に辿り着けないにしても、その限界であがいた過去の哲学者たちの足跡を知ることです。まずは、社会契約説の嚆矢であるホッブスのリヴァイアサンにチャレンジしようと思います。