2021/8/28

ないは、ある


先の記事でご紹介したとおり、納富信留「ギリシア哲学」 を読み始めて全600ページのうち200ページほどのところ、パルメニデスの個所でつまづきました。「あるは、ある」という箇所です。日下部吉信がネオ高等遊民との対談動画で、「あるは、ある」とは言っていない!と明言していたからです。

それで、日下部吉信「ギリシア哲学30講」を読み始めて、ようやくパルメニデスのところまで到達しました!たしかに、日下部吉信は「あるは、ある」とパルメニデスを紹介していないことがよくわかりました。ただ、他方で、「あるは、ある」ととらえている学説もあることが触れられています。「あるは、ある」ととらえるのは、存在を対象として把握しているためです。(ここからは私の言葉になりますが)人間自分自身が全知全能者の分身として、 存在(ある)を対象としてとらえるがゆえに、「あるは、」という主語が生じるのです。

そうではなくて、主語無しで、「ただ、ある」とパルメニデスが言ったととらえることも可能で、日下部吉信は、その解釈に立っています。パルメニデスは、その前に「ないは、ない」と言っています。つまり、ないものは存在そのものがないので、そんなことはあり得ないと言っているのです。そうすると、生成とか消滅も、その前後に「ない」ことを前提とする以上、あり得ないことになります。そこで、「ただ、ある」が帰結されるのです。となると、自然はただそこにあるだけで、生命の流転や因果の流れなどあり得ない、ということになってしまいます。

そんな結論は実感と合わないよね?ということで、それ以後の哲学者たちは、パルメニデスのこの結論に目をつぶったり無視したりして持論を組み立てて来ました。しかし、彼らのいずれも、「ないは、ない。ただ、ある」に対して決定的な反論を加えることに成功していないのです。

う~ん。。。2500年前に、哲学はパルメニデスによってすでに「終了」させられていたのでした^^ やはり、哲学するなら、まずは、パルメニデスと対決する必要がありそうです!

そこで、ここで大胆な仮説をぶち上げてみます!

「ないは、ある」

どうかな~?多分、間違っていると思いますが、この仮説を元に哲学してみようと思います^^