2021/8/14
存在論の深淵にハマる
哲学を学ぶ意義として、人生をいかに生きるべきか?を突きつめる(倫理学)ということが、ひとつあります。
・しかし、そもそも、いかに生きるべきかを「考える」ということ自体どういうことなのか?
・「考える」ことと「世界」とは、どのような関係に立つのか?
・「考える」こととは別に「世界」などそもそも存在しないのではないか?「世界」は、人間が「考える」認識の中にとどまっているに過ぎないのではないか?
・いや、そうではなくて、「世界」は、「ただ、ある」。しかし、それは人間には知りえない事柄であって、神のみぞ知る事柄に過ぎないのではないか?
・そうだとすると、「無い」ということを人は知り得るのか?「無い」など知り得ないのではないか?
といった倫理学を学ぶ以前の疑問が次々に湧いてきます。私が上記の問いを正確に立てているとはとても自信を持てませんが、上記は、すでに紀元前5世紀にギリシア哲学者(イタリア)・パルメニデスが立てていた問いです。
19世紀後半~20世紀以降、それまでの倫理学中心の哲学に対して疑問を出したニーチェやハイデガーも、ギリシア哲学の専門家でした。かれらも、おそらくは、上記の「存在論」に足を踏み入れた人たちです。
私は最終的には、いかに生きるべきか?に哲学を学ぶ意義を見出してはいます。しかし、そのように考えること自体の意味を問われてしまうと、その前提として存在論にも興味をそそられてしまいます。