2012/7/24

言語道断!最高裁の死刑判決基準

最高裁が、裁判員向けに、死刑判決の基準を示した旨、メディアでコメント抜きに小さく取り上げられています。 最高裁の死刑判決基準・記事

この件に関して、あまりコメントが見当たらないのですが、私は、次の2点で重大な問題を孕んでいると考えます。 ■裁判員制度の趣旨を没却するものである ■判決基準に哲学的背景が無い

以下、敷衍します。

■裁判員制度の趣旨を没却するものである

そもそも、裁判員制度は、職業裁判官のみによる判決では、国民からの納得感が得られない事を理由として導入されました。

しかし、今回の死刑判決の基準は、報道によれば、過去の裁判例を分析した結果を集積したものです。過去の裁判例とは、すなわち、職業裁判官による判断の積み重ねです。そうした判断の集積を用いるということは、国民からの納得感を得るために素人に判決・量刑を委ねた裁判員制度の趣旨を没却することに帰します。

過去の裁判例によれば、基本的には、被害者の数が重要な判断基準とされているとの事です。まさに、そのような、「被害者の数」といった職業裁判官が拠り所とし易い基準を突き崩すために、裁判員制度は導入されたはずです。今回の基準は、その具体的内容においても、裁判員制度の趣旨に反することが明確です。

元々、裁判員制度は、国民に納税・勤労・教育を受けさせる義務以外、憲法で認められていない義務を課すものであり、憲法上の疑義も明らかにされないままに導入された制度です。にもかかわらず、そうした裁判員制度の趣旨にさえも反して示されたのが、今回の基準です。

これでは、何をやっているのか、まったく分かりません。

■判決基準に哲学的背景が無い

現代の問題は、複雑性を増し、かつてあった尺度を当てはめるだけでは通用しない事態が、多々、発生しています。こうした状況においては、前例等に囚われるのではなく、原理原則論等の哲学的背景に基づく主張でなければ、納得感を生みにくい事態に立ち至っています。

死刑の問題に関して言えば、1人1人の人生体験や思考に基づく信念こそが重視されるべきです。また、今の立ち位置を深く捉えるためには、世界の死刑に関する動向や、長い歴史の中での死刑のあり方といった考察が必要になります。

そうした状況において、狭い日本一国の、しかも戦後の職業裁判官による判断の積み重ねは、非常に狭い判断材料にしか過ぎません。1人1人の人生体験や思考を重視する立場からすれば、むしろ有害な判断材料です。

以上、2点が、私の問題意識です。

報道によれば、この判断基準は、裁判官の実務指針として用いられる予定で、裁判員裁判における判断材料として供されるとの事です。

国民1人1人の理性に基づく自由な判断をないがしろにする暴挙です。こうした暴挙に屈することなく、理性を磨くことが重要と考えます。