2012/4/30

投資と投機の間

友人がFacebook上で「自己投資について、その有意義性を再認識。投機には興味はない」と発言していました。

たしかに、自己投資は、高倍率FX等の投機的取引と比較すると、リスクは低いです。しかし、「投資」と「投機」、実は、その境界線は曖昧です。また、境界線云々以前に、更にその先の話もあります。今回のブログでは、その辺りの私の考えについて、書いてみます。

■投資と投機の境界線は曖昧である

一般に、リスクの高い短期の金融取引を「投機」と言い、リスクを抑えた長期の取引を「投資」と呼びます。

しかし、リスク許容度や「短期」「長期」の境界に明確な区別基準はありません。また、たとえば、一般に、国債は「リスク・フリー」と言われています。国債の主体である国家は、もっとも倒産しにくい主体と想定されているからです。しかし、国債と言えども、市場からその信用性に疑義を差し挟まれれば、債務不履行(デフォルト)となり、極端な場合には、ただの紙切れとなってしまうリスクを抱えています。その意味では、「リスク・フリー」とは言うものの、リスクはゼロでは無い訳で、リスクの程度の問題に過ぎません。

また、銀行預金も、その主要な投資先は、国債であり、銀行の貸付先です。したがって、国債のデフォルトや貸付先大量倒産による預金引出不能事態発生のリスクを抱えています。預金保険機構の存在そのものが、そのリスクの存在を裏付けています。

したがって、「投機」と言い、「投資」と言っても、その境界線は曖昧で、銀行預金を含む、いかなる金融取引も、リスクと無縁である事はあり得ません。

■自己投資は投資のポートフォリオの一部と考えられる

自己投資を行い、さらなる高い付加価値を生み出せるスキルが身に付け、高付加価値が生み出せれば、自分で興した事業から得られる収入、または、勤務先からの報酬等のリターンは高くなります。したがって、自己投資も、また、将来のリターンを期待する投資であると位置づけることができます。

しかも、莫大な金融資産等を抱えているならいざ知らず、小さな個人投資家にとっては、年率せいぜい数%の金融運用リターンは、事業収入や報酬と比較すれば、たかが知れています。したがって、一般に、自己投資は、金融運用リターンよりも、高リターンが期待できる投資です。

さらに、自己投資によって身に付けたスキルは、使えない事はあるにしても、あることによって投資価値が下がるということもなく、ダウンサイド・リスクがありません。(アン・ラーニングが必要なケースもありますが、それ自体、スキルであると、ここでは考えます。)

付け加えれれば、自己投資は、インフレ・リスクや流動性リスクとも無縁です。

このように、自己投資は、有力な投資方法の1つであり、投資のポートフォリオの一部に組み込んでおくのが合理的です。

たとえば、自己投資に費やす時間を削って、金融の素人が金融取引リターンを狙うのは、非効率となるケースがほとんどです。

■自己投資のメリットには、達成動機等充足の側面もある

とは言うものの、自己投資を、単に、金融取引等を含めた投資ポートフォリオの一部とだけ捉えてしまうのは、あまりに一面的です。自己投資には、金融取引等とは異なる充足感があります。

自己投資・・・たとえば、それが学習である場合、学習そのものが楽しいという瞬間があります。また、スキルが身についてくれば、その事による有能感もまた喜びになります。これらは、金融取引等によるのとは異なる種類の「達成動機」を充足するものです。

最近読んだ「数学でつまずくのはなぜか」という本の中で、筆者が非常に示唆的な事を言っています。

「世の中に出て役立つから」数学を学ぶべき、との言説があるが、それは、おかしい。その発想を突き詰めれば、障害等によって数学を役立てられない人には数学を教えなくて良いということになってしまう。そうではなくて、数学は、それ自体、自然界の中に存在している原理なのであって、それを学ぶことは、人間に与えられた権利である。

まさに、自己投資による「学び」は、学生はもちろん、ビジネスパースンにとっても、それは、与えられた「権利」です。学びによって得られる達成感や充実感。わたしたち1人1人が、そうした幸福感を享受できる権利を持っています。 自己投資による学習、そこには、何人によっても侵されることの許されない、権利としての側面があるということは、重要な視点です。