2012/4/25
シリアにおける残虐行為にみる人間の本性
NHK BS世界のドキュメンタリーで、シリアにおける残虐行為の生々しい実態が放映されていました。 シリア国民弾圧の実態 兵士が捕まえた人を動物をなぶるかのように殴る・蹴るの暴行を笑いながら加え、拷問しています。英報道機関CH4のJonathan Miller氏の手になる報道です。 Jonathan Miller氏プロフィール
正直言って、この映像が、本当にシリア軍の兵士によるものなのか、私には判断できません。湾岸戦争の水鳥とかで懲りているので、ショッキングな映像であればある程、疑ってかかってしまうからです。でも、もしかしたら本当で、仮に虚実だったとしても、その嘘を映像として撮影して流す行為そのものに、背筋が凍ってしまいます。そこでは、女・子供の境もなくなぶり殺され、いたぶられた人を手当した医師・看護師も、拷問にかけられています。さらに恐ろしいのは、その虐待行為を加害者自身がビデオ撮影してYouTubeに投稿しており、映っている加害者は、笑いながら、なぶり殺していることです。そこには、罪の意識のかけらも無いのです。
この実態を見て、もっと深い所で恐ろしさを感じるのが、「彼ら兵士が特殊という訳ではないのではないか?」と疑問を感じてしまう点です。
まず、シリア人ではなく、私と同じ、日本人でも、戦前まで遡れば、残虐行為をした人たちは沢山いました。たとえば、外地で外国人を虐殺した人たち。 NHK ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 彼らは、80歳を過ぎて家庭も持っている今、普通に日本に暮らしている人たちです。その彼らが女・子供を虐殺した過去を振り返って、「なんであんなことをしたかな?」と証言しています。 国内でも、憲兵や特高警察は一般市民に拷問を加えていました。なにより、私の祖父は、北朝鮮で憲兵をしていました。もう亡くなっていて、祖父の虐待行為の有無は確かめようもありませんが、私にも、憲兵の血が流れています。
では、残虐行為は、シリア人や日本人、アウシュビッツやアブグレイブやグアンダモノ刑務所の刑務官等の特殊な人たちに限られるものかと言えば、どうも、そうではありません。今、心理学の本を読んでいるのですが、ジンバルドー「現代心理学」 そこで紹介されている実験によれば、多くの人間は、一定の条件が与えられれば、意外と簡単に、人に痛みを与えることに躊躇しなくなってしまいます。一線を踏み越えると、良心の痛みの感覚が麻痺してしまうのです。
このように考えて来ると、シリアで起きていると報道されている残虐行為は、決して他人事ではありません。
今は全く意識できないのですが、私の中にも、残虐な気持ちがどこかで眠っているのかも知れません。そこから目を背けて否定していても、条件が整ってしまえば、残虐な気持ちが行為となって表れてしまう可能性があるという現実に戦慄します。
大切なのは、その可能性を冷静に認めた上で、そういう行為に至らしめる環境をつくらないよう、注意を怠らないことです。そのことを強く感じます。