2012/2/27
憲法の基礎①「公共福祉論」
最近、facebook上で、たまに学生時代の友人と、社会問題について議論します。そんな中で気付いたのが、意外と、憲法の基礎を知らない人が多いということです。それも、社会的責任を負って、社会の第一線で活躍している人たちが、ということです。
そこで、法の本質を少しでも学んだことのある人であれば自明のことながら、「憲法の基礎」をおさらいしてみることにしました。今回と、あと何回かで、憲法の基本に関わるテーマをいくつか提出し、その後、それらのテーマに関する知見が共有化されていないのはなぜか、その原因を探り、さらには、その知見を共有化していくための方策について考えてみたいです。
「憲法の基礎」初回の今回は、「公共福祉論」です。これは、facebook上で、「公共の福祉は人権に優先する」との意見が飛び出した事を契機に、今回テーマに選びました。
憲法の中核である13条の文言は、次の通りです。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
たしかに、この文言からすると、公共の福祉が必要な場合は、人権が制限されることになります。しかし、その文言を以って、一般論として「公共の福祉は人権に優先する」と断ずることは出来ません。
なぜなら、まず、文言上、あくまで原則は人権尊重であり、公共の福祉は例外的として規定されているに過ぎないからです。
さらに、人権尊重は、憲法の最高価値だからです。そのことは、大日本帝国憲法と比較してみれば明らかです。帝国憲法では、人権は、「法律の範囲内」で認められているに過ぎませんでした(法律の留保)。つまり、議会で法律を制定してしまえば、人権はいくらでも制限することが可能だったのです。これに対して、日本国憲法は、法律による人権の侵害を認めていません。それは、前掲の13条においても、人権が立法上も尊重を必要とされるとしていることにも表れていますし、人権を侵害する法律は、裁判所が違憲審査を行うことができる(81条)点にも表れています。
そうすると、尊重されるべき人権と、それに制約を加える公共の福祉との関係をどのように捉えれば良いのかが問題となります。
この点に関しては、人権の主張が、他の人の人権を制限することになってしまう場合にのみ、「公共の福祉」に反するものとして制限されることになる、というのが、ほぼ異論の無い通説です。つまり、人権は、最高の価値を持つが故に、人権によってしか制限されることはないということです(内在的制約説)。
したがって、誰かが人権を主張していて、それに対する制約が加えられそうになっている場合には、その制約が、他者の人権侵害を理由として主張されているものなのかどうかを注意深く観察する必要があります。そうでないのであれば、それは、「公共の福祉」による制約とは言えず、違憲行為になります。