2012/2/12

気持ちの整理

2年前にS君が亡くなっていたことを知ってから、1週間が経ちました。遅すぎた友人の訃報2~3日は、かなり気持ちがふさぎこんでいたのですが、色々と考えたり、周りの人にアドバイスをもらったりして、だいぶ心持ちが落ち着いてきました。その理由を考えてみると、次の5点に整理できます。 ■落ち込んだ原因を探ってみた ■自分だけが背負い込まなくても良いと思った ■S君の遺志を想像してみた ■友達との連絡手段確保に努めてみた ■S君の永遠性を想像してみた

もちろん、上記の事を試してみても、すべて心が晴れた訳ではありません。特に、S君が亡くなって私が生きている事の不条理さは、自分に対して説明が付きません。それでも、かなり心の負担は軽減されましたので、上記事項について、具体的に書いてみます。

■落ち込んだ原因を探ってみた

友人の訃報は、5年前に実父を亡くしたときよりも、大きな心の動揺を引き起こしました。2~3日経っても、気持ちが晴れなかったので、その原因を自分なりに突き詰めて考えてみました。原因は、2つあります。

1つは、5年間の闘病生活を経て40歳台早々にして亡くなった友人のポジションに自分の身を置いたときに、自分がどのような心持ちになるか想像したことです。5年間もの苦しい癌との闘病生活の間、親しかったゼミ員との連絡が途絶えており、どんなにか「孤独」を感じていたことだろう。かつては、友達友達と言い合っていた仲間も、所詮は口だけではなかったか。S君は、心に大きな淋しさを抱えていたのではないか。

私は、自分自身、自己肯定感の低さが色々な問題行動を惹き起こすことを体験しています。ですから、自己肯定感低下に関連すると思われる事柄に対して、心理的に強く反応してしまうのです。S君の孤独感は、S君の自己肯定感を低下させてしまうものではなかったか。そのように想像することで、気持ちの落ち込みが大きくなりました。

もう1点は、S君のお母様の心情を想像したことです。一流大学・一流会社に入るまでに育て上げた末に、40そこそこで人生これからという時の息子を失う心情は、どのようなものだろう。大学の時のゼミには合宿だとか何だとかで、それなりに費用も物入りです。指導教授やゼミ員との交流についてもS君は楽しく語っていたのではないでしょうか。にもかかわらず、S君が本当に苦しくなったときに梨のつぶてにしてしまったゼミの態度に対して、お母さまはどのような心情でいたでしょうか。

まだ小さいですが、娘を持つ身になっており、自分の娘が同じ年で亡くなることを想像すると、胸の痛みがひどくなっていくのでした。

■自分だけが背負い込まなくても良いと思った

2年間もの間、ゼミ員のほとんどに知られなかったS君の死。その空白を埋め合わせすべく、ゼミの皆にS君の事を報告しました。それで返って来たAさんの返信。

「たまたま村山君がお母様に連絡を取ったからといって、1人で抱え込まないで」

たしかに、S君と親しくしていたのは他のゼミ員も同じでした。私1人で抱え込む話ではありませんでした。このAさんの言葉で、肩の上にのしかかっていた力がスーッと引いていく感じがしました。ゼミ員の人数分、10分の1位になった感じです。

社会人になると、色々なしがらみがあって、お互いに本音の直言がなかなかできなくなってしまうものです。Aさんの言葉は、学生時代に色々と議論して、信頼感があるからこそのものです。ありがたいです。

■S君の遺志を想像してみた

Aさんからは、また、組織と個人との関わり方については色々なスタンスがあり得ることの指摘がありました。S君は、もしかしたら、苦しい状況にあっても、ゼミから距離を置きたかったのかもしれない。

S君に対しては、B君が毎年、年賀状を送っていました。7~8年前に旅行先から受け取った年賀状が最後のものだったと言います。その後、S君から年賀状の返信が無いことを不審に思い、B君は、年賀状の宛先をS君の実家に変え、年賀状を送り続けました。

S君は、そのようなB君の振る舞いがあったにも拘らず、自分の方からは、積極的にゼミ員にコンタクトを取ろうとはしませんでした。それは、S君がゼミのみんなと距離を置きたいという意志の表れではなかったのか。

S君の遺志に関して、もう1つ気付いたのは、カウンセラーの方からのアドバイスでした。S君は、たしかに、表面だけ眺めれば、手紙のやり取りなどは絶っていました。しかし、一歩、人の気持ちを高みから眺めてみれば、実は、S君とのゼミ時代の思い出を胸に抱いている私のような友人の存在があります。もしかしたら、S君は、そのことを知っていたのかも知れません。あるいは、亡くなった今となっては、天の高みからそのときの事を振り返って分かっているのかも知れません。

仮にそうだとしても、消息の有無についてまで無関係であるのは淋し過ぎる。そんな無常感を覚えつつも、S君の遺志に思いを馳せると、少しだけ気持ちの負担が和らぎました。

■友達との連絡手段確保に努めてみた

今回の事で私が心を痛めたのは、2年間もの間、S君の事が知られずにいたことです。その背景には、ゼミの名簿をきちんとメンテナンしていなかった事があります。そこで、メールや郵送等の手段を使って、できる限り、みんなの消息を辿りました。偶然の例としては、C君の事例があります。C君の名前をググってみた所、ある音楽教室の「受講生の声」にC君の実名がありました。その音楽教室に問い合わせて、20年振りにC君とつながることができました。

結果として、ゼミの同期生は、2名を除いて、すべて消息を尋ね当てることが出来ました。その2名についても、草の根をかき分けても探り出すべく、。次へのアクションを考えています。

このように名簿づくりに精を出すことで、S君へのはなむけの行動をしている気になり、沈み込む気持ちを和らげることができました。大切な人を亡くした後、葬式の諸事に関わることで悲しみを和らげることができるのと同じようなことだと思えました。

■S君の永遠性を想像してみた

S君は、癌の病に冒されて早く世を去らなければなりませんでした。肉体的にも精神的にも、どんなに辛かったか分かりません。その時のS君の気持ちを尋ねようにも、S君はこの世にはもういません。尋ねることは、もうできません。

しかし、S君の姿は、私の心の中に生きています。情に厚く、義を通したS君の行動を昨日の事のように、私は覚えています。今回、S君の訃報を伝えたゼミ員のD君も、その返信の中に、S君の想い出のエピソードを添えてくれました。D君の胸中にも、S君の想い出は息づいています。少なくとも、D君と私の心の中に、S君は生きています。

カウンセラーの方に教えて貰ったのですが、お子さんを小さくして亡くしたお母さんが、よく「この子の事をずっと忘れないでいてくださいね」と言います。それは、その子が、その子を知っている人の心の中でずっと生き続けている事を知っているからです。

S君の肉体はこの世を去りましたが、その生き方や姿は、私がこの世にある限り、私の心の中で生き続けています。

今後、何か、困難に突き当たったとき、私は、心の中で、こう尋ねるでしょう。

「S、どうする?」

心の中のS君は、ほほ笑みと共に私に私に答えを返してくれるでしょう。