2012/2/5

遅すぎた友人の訃報

大学時代のゼミの指導教授古希記念祝賀会開催にあたり、同期の幹事として、ゼミ員の声掛け作業に入りました。私の期は、まとまりが悪く、名簿も、最後に更新されたのが10年位前という状態となっています。「現住所」は不明のゼミ員も多く、S君も、その1人でした。仕方なく、辛うじて記載のあったS君の実家に電話をかけてみました。

「もしもし、大学時代にS君とHゼミでご一緒させて頂いていた村山と申します」

「はい」 初老の女性の声でした。私の母親の年齢と重ね合わせて考えれば、多分、S君のお母様です。

「S君は、今、そちらにいらっしゃいますか?」

「いいえ、いません」

「どちらに、いらっしゃいますか?ご連絡先を教えて頂くことはできますか?」

「いいえ。死にましたので」

「・・・。済みません。初めてお聞きしたので、ショックで何と言ったら良いのか・・・。いつ頃ですか?」

「もう2年になります。先月、3回忌を済ませました」

「そうでしたか・・・。何も知らずに不躾なお電話を差し上げてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいえ。ゼミの方には、いつも年賀状をくださっていたN君にはお知らせしたのですが」

「そうですか・・・。今、お電話でお話させて頂いているのは、お母さまでいらっしゃいますか?」

「はい」

「今は、お仏壇等は、ご実家にあるのでしょうか?」

「はい。幸いというか、結婚しなかったものですから」

「そうですか。大変遅くなってしまって申し訳ありませんでしたが、お悔やみ申し上げます」

「はい」

「では、お体にはお気を付け下さい」

「ごめん下さい」

・・・突然、2年も前の友人の死を電話で知らされました。電話では、立板に水のような、社交辞令的な会話をつないでいました。

しかし、その後、風呂に入ってから、電話の会話を思い出すと、熱いものがこみあげて来て、嗚咽が止まらなくなりました。

大学の青春時代を共に生きた友人の死を2年間も知らなかったなんて・・・S君は、少なくとも、Hゼミのほとんどの友人に知られない中で死を迎え、どんな気持ちだっただろう。お母様は、2年も経ってからノコノコ電話をして来た私に対して「死にました」と伝えなければならなかったとき、どんな心中だっただろう。

S君は、亡くなるとき、淋しかったかも知れない。辛かったかも知れない。しかし、今はもう、その心中を知る術はありません。彼の気持ちをその時に気遣うことすらしなかった、その自分の態度に、なんとも言えないやり切れなさを感じます。

今、学んでいる「おとなの社会科」 おとなの社会科 では、「社会の包摂性」を確保することの大切さを共有しています。そこで学んでいる私が、大切なゼミの友人の消息を2年間も放置していたというのは、とても学びを実践しているとは言えません。

思えば、年賀状も、2年ほど連絡が付かない人には送付を辞めたりしていました。また、ゼミの古い名簿もメンテせずに、そのまま放置してきました。そのことで、大切な人のつながりを断ち切っているのかも知れません。S君は、そのことの不条理さを不惑過ぎの若さでこの世を去ることで、身を挺して教えてくれているのかも知れません。

S君は、とっても情に厚く、一方で周りに流されずに筋を立派に通す硬骨漢でした。そんな彼が亡くなり、こんな私が生きています。

S君、本当にごめん。謝罪すること自体が本当に遅くなって、ごめん。ただ、天国での冥福を祈っているよ。