2012/1/30
忘れられない一場面
「一番好きな映画は何?」と聞かれて語り出すと、いつも涙が出てしまう一場面があります。「シンドラーのリスト」です。IMDb_シンドラーのリストシンドラーは、ホロコーストのさなか、多くのユダヤ人を助けた人です。ユダヤ人が徹底的に迫害されていたナチスの時代、それは、命懸けの行為でした。
そんなシンドラーにも、ついに官憲の手が伸びて来ます。やむを得ず、ドイツを去らなければならない身になりました。出発の日、シンドラーを慕う多くのユダヤ人が見送りのために集まります。これまでシンドラーが行って来た勇気ある行動に対して、皆の顔には感謝の気持ちが表れています。
そうして集まって来た人たちに対して、シンドラーは嗚咽します。「あと1ペニー。あと1ペニーで、もう1人が救えたんだ!もう1人が救えたんだ!」
・・・だめですね。書いていて、涙を止めることができません。
ここまで命懸けの行動をして来たのに、それでも、まだ全然足りていない。もっともっとできた。そんな心の叫びです。そこには、無限に人に尽くそうとする思いが溢れています。
私は、この場面を語り、書くたびに涙が出るのを避けられない自分の感情は、いったい何なのだろうと、ずっと思って来ました。
それは、もはや、感情が湧きあがって来るから泣くのではない。涙が出るのが先で、その後に、胸に熱い感情がこみあげて来ます。きっと私の潜在意識に働きかけて涙のスイッチを入れる何かがあるのでしょう。それは、私の過去の何らかの経験に根ざしたものなのかも知れません。
私にとって、いつも涙なしに語ることができないこの一場面は、とても貴重なものです。この一場面を思い出す度に胸に迫りくるこの感覚を大切にしたい。この感覚を何か一般的な表現「悲しみ」とか「感動」とか、言う言葉で表してしまうと、それは、何か違ったものに形を変えてしまいます。そういうものではない、言葉では表せな感覚そのものを大切にしたい。
心理学用語で、こうした、「悲しみ」や「怒り」等の「感情」に転化する前の心の動きを「情動」と呼ぶ事を知りました。
中学生の頃まで、私の心の中には、何かとてつもないブラックホールのような、マグマのような、「思い」がありました。それは、言語化しようとした瞬間に嘘っぱちになってはじけ飛んでしまう「何か」でした。
それが、成長するに従って、その「何か」は消えていき、言語化できる「感情」にすり替わってしまいました。
でも、「感情」は、本当の私の心の叫びではない。別物です。日常的には忘れがちなのではありますが、時々、その違和感を思い起こします。
シンドラーのリストのこの一場面は、そんな違和感を私に思い出させてくれる貴重な宝物です。