2011/8/30
カウラの大脱走・追加情報
先日、オーストラリアの小都市カウラにあった捕虜収容所から日本兵が脱走した事件について書きました。 http://bit.ly/o3kNfO
今回は、この事件に関する追加情報を書きます。
オーストラリアでは、政府が、過去の新聞をすべて検索できるシステムを管理しています。 http://trove.nla.gov.au/newspaper 今回は、そこでの情報検索から、カウラ事件に対するオーストラリア人の受け止め方を知る事が出来ました。
事件の詳細が、脱走から1年後、1945年の記事に掲載されています。 http://bit.ly/mVSTWL そこには、脱出に成功した日本兵が、周囲の住民に全く危害を加えなかった事が書かれています。お腹を空かせている日本兵を気の毒に思って食事を与えた農家が収容所に電話をしているのを見ても、日本兵は敵意を見せなかった、とあります。脱走直後は非常線が張られ、周辺住民に注意が呼びかけられました。しかし、実際の日本兵は全く無害でした。そうした日本兵の態度が、オーストラリア人に好意をもたらす1つの切っ掛けになったようです。
脱走事件を日本人の視点から眺めれば、「生きて虜囚の恥ずかしめを受けず」といった理不尽な強制といった点が目につきます。ジュネーブ条約にきちんと従って手厚く保護された環境にあったのだから、あと1年、終戦まで何とか待てなかったものか、と。無駄に命を捨てる事はなかった。
たしかに、それは、その通りです。しかし、他方で、戦時にあっても、市民に危害を加えるようなことはしなかった日本兵の態度は立派です。彼らは、収容所の塀の外では、自分の内地の家族と同じ、普通の平穏な暮らしが営まれていることをキチンと理解していたのだと思います。彼らのそうした態度が、その後、カウラと日本との懸け橋となりました。
カウラ市は、旅行を紹介するサイトをFacebook上で持っています。 http://bit.ly/mVSTWL そこで、脱走事件に関するオーストラリア人の心情について質問した所、来月(9月)、桜祭りのイベントを行う旨、返答がありました。日本の花である桜が、カウラでは今も満開で、カウラと日本とを結び付けています。その種は、かつてこの地で命を散らした235名の日豪の兵士がまいたものです。