2008/12/28
格差社会に反対する理由(世界編)
先日、日本における格差社会に反対する理由についてブログに記載しました。 http://imurayama.tea-nifty.com/test/2008/12/post-d97c.html
今回は、世界における格差社会(貧困)に反対する理由を考えます。このテーマを考えるにあたっては、次の本に非常に大きな影響を受けました。この本に大きな助けを得ながら、考えを進めていきます。 ・ジェフリー・サックス「貧困の終焉」(早川書房、2006年) http://www.amazon.co.jp/dp/4152087234
私が明確に世界規模の格差(貧困)に反対することができると思いいたった理由は次の3つです。 1.格差是正が必要と考えられるから 2.格差是正が可能と考えられるから 3.格差是正活動に自分も参加できる道がありそうだから
なお、上記3つの理由とは直接関係ないのですが、このテーマに関しては、四半世紀越しの私の思い入れがありますので、最後に併せて記載させていただきます。お時間に余裕がある方は、併せてお読みいただけると嬉しく思います。
■格差に反対できる理由1:格差是正が必要と考えられるから
世界人口の6分の1にあたるおよそ10億人は、1日あたり1ドル以下の極貧状態にあります。かれらは、毎日生きるか死ぬかの瀬戸際でギリギリの生活を迫られており、貧困の罠から抜け出すことができません。同じ時代に同じ人間として生きている人たちには矢張り、お互い人間としての最低限度の生活レベルは確保し合いたいものです。そうした心情的な思いが、格差是正を必要と考える根っこにはあります。
もっとも、格差を是正しようとすると、結局、私が汗を流して働いた収入から彼等に富の配分を行うことになる訳で、心情的な思いだけでは、やはり心から格差是正を肯定することはできません。
そこで、説得力を帯びるのが、格差是正が日本の安全保障につながる、という考え方です。つまり、貧困はテロリズムの直接的とは言えなくても大きな間接的要因となるということです。したがって、貧困をなくせばテロリズムの大きな要因をつぶすことができます。結果として、日本にとっては中東地域の石油が確保できるなど、メリットがあります。
この点、アメリカは、格差是正のための援助が安全保障に資する旨、ブッシュ大統領が明確に語っています(「貧困の終焉」によると、2002年3月14日に行われたInter-American Development Bankにおける演説)。日本も、たとえばODA予算を語る場合、心情論だけではなくて安全保障の面を語ってもいいと思います。
■格差に反対できる理由2:格差是正が可能と考えられるから
貧困は、一定レベル以下に落ち込むと、本人の努力では決して這い上がれない奈落の底に落ちてしまいます。日々の生存を辛うじて保っていくのに精一杯で、より良い将来に向けての投資が全く出来ず、貧困の罠から抜けられないのです。
貧困の罠から脱出させるためには、生存権を保障できるだけの援助レベル+αが必要です。具体的には、電力・水などのインフラ、保健衛生、教育への投資です。それらについて、援助対象国が主体的に行政コントロールできるような形での支援が必要です。
「貧困の罠」の著者ジェフリー・サックス氏の試算では、世界貧困層11億人に向けたこのレベルの投資に必要な総額は年間7~8兆円です。これは、先進国10億人の総所得の0.7%に当たります。我々先進国の人間が1人年収の0.7%ずつ痛めて寄付をすれば、貧困は根絶できるということです。
もっとも、これにはいくつかの条件があります。
1つは、援助したお金を被援助国の独裁者の懐に入れさせないことです。これを行うには、援助の条件として、「支援金を適切に運用できる政治体制を持っていること」を徹底することです。まずは、真面目に復興に向けた熱意を持ち、民主的な政治体制が機能している貧困国に十分な規模の援助を実行し、成功例をつくっていくことです。
2つ目は、一貫したポリシーを持って援助を完遂することです。個別の善意に基づいたバラバラな支援は、被援助国に混乱をもたらす「有難迷惑」になりかねません。先述のインフラ・保健衛生・教育への投資を体系だって整然と行うことが必要になります。ジェフリー・サックス氏の見解では、IMFと世界銀行と国連が手を携えて、体系だった支援を行うべきとのことです。
言うは易し行うは難し、という気はしますが、正直言って私は貧困の根絶は「不可能」と漠然とではありますが思い込んでいました。それが「可能性はある」ということが見えた点で、希望の光を見た思いがします。
■格差に反対できる理由3:格差是正活動に自分も参加できる道がありそうだから
「貧困の終焉」を読んで、しっかりとODAに向けた姿勢を持つ政党・政治家に投票することが、格差是正活動に向けた効果的な行動ということが分かりました。
ただ、日本にそういう見識を持った政治家がいるのかは分かりませんし、ちょっと心もとないです。そこで、グーグルで、「貧困の終焉」と「the end of poverty」を検索してみて、ここにコメントを寄せている識者や機関に対して、何か個人で具体的に採用できるアクションはないか問い合わせてみました。
結果は、レスポンスがあれば、読者の皆さんと共有できる部分は共有していきたいと思います。
■この問題への思い入れ
話は四半世紀前、私の中学校3年生の時に遡ります。当時の理科の先生が非常に個性的で、理科のカリキュラムには全く囚われずに、中学生に必要と思った教養を身に付けさせるスタンスでした。その日は、ある日本人医師がインドの貧困地域に単身乗り込んで行って、必死で医療行為を行うというビデオを視聴するという授業でした。その医師の奮闘振りを観て感想文を書くように、というのがその授業の課題でした。
その理科の先生の意図は、素晴らしい取り組みをしている医師の姿を生徒に見せたいというものだったと感じました。実際、受講した生徒には目に涙を浮かべた者もいて、大半は・・・というか私以外の総ては恐らく医師に共感する感想文を書いたと思います。
しかし、私は、そもそも、そうした医師に共感を抱かさせてそれを紋切り型の感想文にまとめさせようとする意図が見え見えの教師の魂胆に反発しました。そういう感情面での反発もあったのですが、理屈の面から言っても、医師の行動には解せないものがあったのです。
医師のコメントの中には、「自分が医療行為を施してもすべてを救えるわけではない。しかし、取り敢えずはやらずにはいられない」というものがありました。私には、精神論だけを語って弥縫策を行っているにすぎないように思えたのです。自分ならば、もっと貧困を根本的に解決するような組織的な取り組みに関与するようになりたい。そう思ったのです。
そして、その思いを「感想文」に綴りました(先生からフィードバック等は、そもそもあったのかも忘れました(笑))
・・・と書いてみはしたものの、具体的にどんな組織的取り組みがあるのか、そもそも掘り下げて真面目に考えもしませんでしたし、結論を見いだせないままに四半世紀が過ぎ去りました。
しかし、今、ここに具体的な取り組み方法の光が見えました。その理科の先生とはもう音信が途絶えていますが、お話しできる機会があれば、ぜひ報告したいです。