2008/12/23
戒名のことPart2
先日のブログで亡父の戒名を私がつけたことを記しました。 http://imurayama.tea-nifty.com/test/2008/03/post_2b52.html
その後、一昨日、葬儀屋さんに行き、戒名のことについて色々新たな情報を仕入れて来ました。今回は、もう一度私が父の戒名をつけた理由を振り返ると共に、戒名を自分でつける(自作戒名)にあたっての留意点を記します。自作戒名をお考えの方のご参考に供したいと思います。
■父の戒名を自分でつけた理由
理由は3つあります。
1つは、コストです。人が亡くなると、葬儀費用の他、仏壇やお墓等、様々な費用がかかります。仏式の場合、それにプラスアルファでかかってくるのが戒名料です。戒名の文字数や書き方によるのですが、数十万円から数百万円が相場です。
ちなみに、私が父につけた戒名は、最初に「○○院」とついた9文字で最後は「居士」としました。この場合の相場は百万円程度です。旧来、「○○院○○○○居士」というのは、格式ある武士にしか使われなかったのですが、最近はお金を出せばお坊さんがつけてくれるようになってきているそうです。
2つ目は、戒名の仕組みに対する不信感からです。生前、故人とは全く面識のないお坊さんが、お葬式になると突然現れて、生前の個人の様子等を2、3聞いただけで授かるのが「戒名」です。ものの本によると、宗派毎に戒名のマニュアルが用意されていて、お布施の金額によって、字数等の「格」が決まるそうです。
立派に修業を積まれたお坊さんだからこそ付けられるのが「戒名」というのが建前ですが、どうも不信心な私には胡散臭く思えました。
また、生前の故父の様子なら私の方がお坊さんよりも余程詳しく知っているわけで、であれば、私が付けてあげた方が父もあの世で喜んでくれるのではないかと考えました。
3つ目は、亡父の葬儀を担当したお坊さんに対する怒りです。先のブログにも書きましたが、お経の中で、「俗名○○○○」というのを俗名であるのを非難するかのごとく大きく唱えていたのが、戒名をお坊さんに依頼しなかったことに対する当てつけであったように感じたのです。
しかし、一昨日、葬儀屋さんのお話を聞いて、これは誤解だったかも知れないと思い至りました。お坊さんの曹洞宗では、葬儀のお経は「引導を渡す」ことに相当し、そのときに戒名・俗名にかかわらず大声で名前を呼ぶのが習わしになっているそうです。
いずれにしても、1つ目・2つ目の理由は、葬儀屋さんのお話を聞いた後も、私にとっての合理的理由として残っています。
■自作戒名の留意点
私は父の戒名をつけたことで、特にトラブルはありませんでした。しかし、葬儀屋さんのお話を聞き、実際には注意しなければいけない事柄に3点気付きました。
1つ目は、葬儀後のお墓や回忌についての配慮です。
葬儀そのものは、自作戒名で押し通してしまい、特に問題にならないことが多いと思います。一過性のセレモニーですので、自作戒名について口を差し挟まれる時間的余裕も余りないからです。
しかし、いざお墓を考えたときに、先祖代々のお墓である、というケースがあります。特にお寺に併設されているお墓である場合は、檀家になっているケースもあり、そうすると、亡くなった方の戒名だけが異なる宗派の戒名のパターンだったりすると具合が悪いことになります。
また、1回忌や3回忌のときなど、先祖代々からのシキタリを重んじる親族の方から、「自作戒名」について難癖を付けられる可能性があります。
幸い私の場合は、亡父の代からのお墓で、新族は割とリベラルでしたので、そういう問題は起きませんでした。しかし、もし上記の懸念があるのであれば、あらかじめ自作戒名について了解を取っておくなどの配慮が必要になります。
2つ目は、戒名を付けるタイミングです。
お通夜の前にお坊さんに自作戒名を伝えるとすると、面倒なことがいくつか起きます。
そもそも、お坊さん自身が、「自作戒名」なるものを受け入れてお経で唱えていただくこと自体無理なケースがあります。そこで、故人が生前、他のお寺で授かった戒名だと偽る手もありますが、「どこのお寺さんですか?」と問い詰められてしまうことも考えられます。
仮に、「自作戒名」を受け入れていただけたとしても、建前上、その戒名はそのお坊さんが付けたことになり、そうすると既定の戒名料を取られてしまいます。
ですから、無料の自作戒名を通そうと思うと、葬式のお経は俗名(生前の本名)で詠んでいただいて、お墓や仏壇に名前を入れるときに戒名にするという方式が無難です。
もっとも、回忌をお坊さんを呼んで行うということになると、「自作戒名」が葬儀のときと同じようなトラブルを引き起こす可能性があります。ですから、無料の自作戒名を貫くには、回忌にはお坊さんを呼ばない覚悟が必要です。
3つ目は、生前からの戒名の是非です。
戒名は本来、仏門に入るときに「名前が改まる」というものです。ですから、生前、仏教徒になったときに付けられるのが筋です。それが死後でもOKとされるようになったのは、日本のお寺の金儲けが発端とものの本には書いてあります。
であれば、生前から少しお寺に親しんでみて、戒名を頂いておくのはどうか?とちょっと考えてみました。
しかし、当然ながら、死後と同じ戒名料はかかるのですよね・・・また、お寺とのお付き合いが始まると、何かと行事ごとに駆り出されて、寄付など必要になるそうです。
自作戒名のためだけであれば、生前からお寺とお付き合いを深めるというのは、割が合わないようです。
■戒名、つまるところは・・・
縷々書いて来ましたが、戒名制度は、結局のところ、お寺のお金儲けの1つの手段としてシステム化されています。ですので、「自作戒名」を貫こうとすると、それなりにシステムの裏をかく手段に出ないと都合が悪いのです。
もっとも、お寺に戒名をつけていただけば、毎朝のお寺のお勤めでその戒名は供養していただけるそうです。ですので、お寺の有難さを信じられる方は、所定のコストを投じて戒名を得るのも1つの考え方です。
逆に、そもそも戒名等得ずに、「俗名」でお葬式、仏壇の位牌、お墓まですべて通し切ってしまう、というのも1つの見識です。
更に言えば、日本の仏教形式を捨てて、神道やキリスト教、あるいは無宗教で行く、というのも1つの考え方です。
究極的には、自分の信念とコスト感覚にしたがって、戒名の扱いをどうするか、考えていくことになるのでしょう。
ちなみに、私はそろそろ自分の戒名の検討に入っています・・・