2008/12/16

人類学、新発見!

私が大学で受講した「人類学」は、ヒトの骨の形からその性格を探っていくタイプの「生物学的人類学」でした。しかし、最近、「人類学」には人の風俗や習慣等を探っていく「社会人類学」があると知りました。哲学や倫理学等と異なり、研究者がみずからその社会に入り込んで(フィールドワーク)体験する中で何かをつかんでくる学問です。

その「社会人類学」を取り扱った書籍の中で非常に心を動かされたのがこの本です。  ・春日直樹編『人類学で世界をみる―医療・生活・政治・経済』(ミネルヴァ書房、2008年)

たとえば、私は、これまで「脳死の是非」について、考え方の枠組みがなかなか整理できずにいました。ものごとの是非を突き詰めるのは、直截的には倫理学かな?と思います。でも、倫理学は明確な回答を与えてくれませんでした。

倫理学は、人間の認識構造等を問題にする「規範倫理学」と個別の倫理的課題の是非を問う「応用倫理学」とに分かれます。「脳死の是非」という個別の問題は、「応用倫理学」が扱います。ところが、この「応用倫理学」、私にとっては明快な回答を示してくれるものではありませんでした。

私の読んだ範囲の「応用倫理学」の教科書の記述は、大体、以下の感じです。  ・外国の○さんは、○○の見地からA説を取っている。  ・外国の×さんは、××の見地からB説を取っている。  ・○○を重視すればA説だが、××を重視すればB説である。

・・・うーん、どっちを重視すべきだろうか?と悩んで終わってしまうのです。

しかし、上述の『人類学で世界をみる』で新鮮だったのは、脳死の問題を臓器移植の問題に置き換えていたことです。そもそも、臓器移植の必要がなければ脳死等判定する必要がないのです。そして、筆者は、肉親が脳死になり臓器移植を許容するかどうかの判断を迫られた遺族に取材をしています。そのときの遺族の率直な感情を元に脳死の是非を議論しているのです。

このように考えてくると、脳死の問題は、心臓や肺は動いている生身の肉体を「死」と認識することができるのか?という極めてリアルな問いかけになります。私自身、明確な回答を出せてはいませんが、考え方の枠組みについては大きなヒントになりました。

『人類学で世界をみる』では、その他にも、沢山の人類学者が20ほどのテーマを扱っています。いずれのテーマについても、共通するアプローチは、現場のフィールドワークに根ざした見解である点です。

この本の筆者である人類学者たちの中には、30前後の若い人たちも沢山含まれています。いずれも地に足の着いた議論を展開していますので、彼等の今後の活躍が楽しみです。