2008/12/15
万が一への備え
このブログは、渡辺パコさんの知恵市場有料版ブログ中のコラムに触発されて記載しました。 http://www.chieichiba.net/blog/2006/02/by_paco_5.html (by paco)385人生の有限性についてのロジカルシンキング(1)
私は中学生の頃から、死ぬときはゴルゴ13に狙撃されて即死できれば幸せだろうな~と本気で思っていました。
でも、結婚してから考えが変わりました。その話を真顔で妻にしたら泣かれてしまったのです(ノロケで済みません)。「一生幸せにしてくれるって一緒になったのに、何でそんなこと言うの?」と。我ながら無責任に生きてきたものだと振り返りましたが、今まで思ってもみなかった一言でした。結婚して、1人の女性の生活を支えて幸せにしていく責任を負ったのです。そのことを実感したひとときでした。
次いで娘が産まれました。少なくとも、娘が一人前になるまでは頑張らなくては・・・今まで知らぬ振りを決め込んでいた健康診断の数値にも真剣に向き合い、スポーツクラブにも通うようになりました。
とは言うものの、人生いつどこで何が起きるか分かりません。将来の老後・教育への投資とバランスを取りながらも、死亡・病気のリスクヘッジのための保険に入りました。私に万が一のことがあった場合、妻と娘とで最低限の生活は保障できるようになっています。
ただ、死亡の場合は、相続人や葬式費用が不明確だったりすると、妻に負担をかけます。他の遺族が騒ぎ出して、せっかく妻と娘の生活費のために充てる予定の生命保険が葬式費用につぎ込まれてしまったりする恐れもあります。ですので、口頭ではありますが、葬式費用の上限を妻に伝えてあります。近々、明朗会計の葬儀屋に行って見積もりを取り、すでに記載済の遺書に上限額を追記する予定です。
私は40歳で、特にこれと言ってまだ「死」とは縁がありません。なのに、こんなことをしていると聞くと、縁起が悪いという人もいます。その発言の背景には、日本の言霊信仰があると思います。縁起の悪いことを言うと、その言葉のせいで悪いことが起きる、というものです。しかし、私はそのような非科学的な見解にはくみしませんので、備えるべきは備えるという考えです。
もっとも、備えがあるから完全に憂いがないか?というと、そうでもありません。これは、2つの面から言えます。
1つ目は、できれば、学校を卒業する位までは父親として生きていた方が、経済的にも精神的にも子供にとって良いのではないか、という思いです。ただ、私の生が逆に経済的・精神的に妻や娘の負担になるようであれば、生きている価値がないかな、とも思います。
2つ目は、今は健康だから死のことを気軽に想定する発言をしていますが、現実に死が忍び寄ってきたことが分かっても本当に今のままの気持ちでいられるかは疑わしいということです。これは映画「象の背中」で、癌(死)の宣告を淡々と受け入れたかに見えた主人公(役所公司)が兄と会ったとき「お兄ちゃん、俺、本当は怖くて怖くてしょうがないんだ!」と泣き崩れるシーンを観たときに共感した、その気持ちです。私は、死後の世界を信じる信仰を持っていないため、死の先にあるのは、魂の消滅のみです。自分がこの世からいなくなってしまう、未知の領域は、私には矢張り怖いのではないか・・・実際に死に直面しないと分かりませんが、そう思います。
いずれにしても、最悪の事態に対して最低限の備えをしており、今は「死」と縁はないので、「今を生き」て、死に直面する事態になっても、できるだけ「今を生き」る生活を継続できれば、一番幸せだと思います。