2008/12/11

格差社会に反対する理由

経済的に困窮している方に対して憐憫の情を持ち合わせていないわけではありません。

しかし、理屈を突き詰めれば、彼等に政府が手を差し伸べるということは、私が汗水流した労働の対価としての報酬から支払った税金が、彼等の手元に行くということです。彼等が私ほど努力して働かなかったとしても、です。税金の使い道は、彼等に対してという選択肢だけではなく、私に直接恩恵が来る使われ方もあるのに、です。

私は、特に社会人になってから、なぜ経済的に困窮する人を救う理由があるのか、その理屈を明確にできずにいました。それが、1冊の本を読んで非常にクリアになりましたので、今日は、その本から得た知識を披露します。  ・岩田正美『現代の貧困』(ちくま新書、2007年)

■今の日本では「機会の平等」が保障されない人々がいる

「平等」には、「機会の平等」と「結果の平等」があります。「機会の平等」は近代自由主義の考え方で、人々に生まれながらの平等は保障しますが、それ以降は個々の努力や能力によって差がつくことを許容する考え方です。これに対して「結果の平等」は共産主義等の考え方で、能力差にもとづいて競争した後の結果についても平等を保障する考え方です。

憲法は14条で法の下の平等をうたっています。そして、通説(私が知っているのは20年前の通説ですが・・・)は、14条は、「機会の平等」を前提とするとしています。もっとも、生存を脅かされるような人は、機会の平等が実質的には害されてしまうので、生存権は保障しています(25条)。いずれにしても、憲法が原則として保障しているのは「機会の平等」であって、「結果の平等」ではありません。

おそらく、すべての日本人には、教育のチャンスなど「機会の平等」が保障されているのだから、多分、努力が足りない人に手を差し伸べるように言われてもな・・・というのが『現代の貧困』に出会うまでの正直な思いでした。

しかし、『現代の貧困』は、自分の意思や努力と関係なく、貧困に陥らざるを得ない状況にある人々がこの日本に存在していることを教えてくれました。それは、「低学歴」「シングルマザー」「非正規社員」の1つまたは複数の条件に該当してしまった人たちです。たとえば、家庭の経済状況や配偶者との死別、リストラ等により、自らの意思・努力と関係なく、これらの条件に該当してしまう人たちはいます。

『現代の貧困』は、貧困に陥っている人たちの中で、これらの条件に該当してしまった人たちの割合が非常に高いことを統計で明確に示しています。そして、一旦貧困に陥ってしまった人たちは、なかなか敗者復活ができにくい社会風土が日本にはあるのです。

恥ずかしながら、私は知らなかったのですが、まさに「機会の平等」が脅かされながら、敗者復活もままならない人たちが、日本の社会に現に存在していたのです。

■貧困を自分のこととして考える

ただ、そうは言っても、なぜ、自分の身を削って支払った税金から、「機会の平等」を奪われた人に富を配分しなければいけないのか、そこの疑問は残ります。

この疑問に対しても、『現代の貧困』は、ヒントを与えてくれました。

先に記したように、「貧困」は自分の意思・能力と関係なく降りかかってくる可能性のある事態です。ということは、自分自身、将来、「貧困」に陥ってしまう可能性がある訳です。その予防策として、「貧困救済策」を取っておく必要がある、ということです。

これは自分自身のことについてだけではなく、大切な家族のことについても言えます。もし、自分が死亡したり働けなくなったりした場合、妻と娘は貧困に陥ってしまう可能性があるのです。

なるほど・・・このように視点を変えてみることで、貧困を「自分の問題」としてとらえることができるようになりました。

■貧困救済に向けてどんな行動を取るべきか

とは言うものの、私の日常の仕事のミッションは、貧困救済ではなく、クライアントまたは勤務先に利益をもたらすことです。ですから、実際には、貧困救済を全く無視するような政治家や政党には投票しない、というのが私の貧困救済に向けた具体的なアクションになります。

ただ、一方で無い袖は振れません。ですから、やはり、コストのかかる貧困救済策だけではなく、日本の富を増やす政策も必要です。結果的には、日本の富を増やすと共に、貧困救済策も忘れない、バランスのとれた政党・政治家に投票すべきことになります。

・・・当たり前すぎる結論で済みません。でも、この当たり前の結論に納得を持って到達するには、私は少し時間がかかりました。