2008/11/29
私が「お説教ソング」を嫌いな理由
「お説教ソング」とは、最近の一部のJ-POPに見られる傾向に私が命名したものです。歌詞の中で、「こういうときは、○○すべき」とか、「××した方がいい」とか、学校の先生が諭すような道徳観が語られているものを指しています。平成に入った辺りから、売れている曲の中に、こういう歌詞の入ったものが増えてきたように感じています。
私は、「お説教ソング」が嫌いです。しかしながら、結構ヒット・チャートに乗っている曲も多いので、世間では受け入れられています。また、私のように「お説教ソング」を批判する見解も目にしたことがありません。ですので、「お説教ソング」の是非を問う前に、まずは、私がなぜ「お説教ソング」が嫌いなのか、このブログでは、その理由を述べます。それに対して、コメント等で反響があれば、そこから「是非」の議論につなげていければ、と考えています。
■そもそもロックの本質は「反骨・反権力」
J-POPも、「4Beatでバンドを組んで演奏する」という意味では、ロックの一形態です。で、ロックの元は、はみ出し者の反骨・反権力というイメージがあります。まっとうな世の中のエリートに歯向かって行く所にこそ、ロックのパワーの源泉がありました。
それをエリートや権力の側に立って道徳的に「こうした方がいいよ~」とか言われてしまうと、「え~?」と思ってしまうのです。
まあ、でもこの点は、「ロックの源流はそうだけど、J-POPはそれを変容させたんだよ」と言われてしまえば、「それまで」です。ただ、個人的な引っ掛かりの大きなポイントにはなっています。
■年端の行かないあんたたちに説教されたくないよ
J-POPを歌っている人たちは、せいぜい私と同年代以下です。彼等に「こうした方がいいよ~」なんて、歌で説教して欲しくはないです。そういうことは、職場の実体験とか、哲学や倫理学の先達に学びますので。そもそも、人生経験をそんなに積んでいなくて、そんなにお勉強もしているとは思えない君たちに、「こうした方がいいよ~」なんて言える資格があるのかしら・・・?
感情的には、この点が大きいと思います。
もっとも、リスナーは、周囲に余り道徳的なアドバイザーがいない人が多いのかも知れないですね。だから、たとえ歌であったとしても、そこに道徳的要素があれば、それがありがたいのかも・・・
■世の中、そんなに単純じゃないよ
歌詞に込められる文字数なんて、たかが知れています。そこで、「○○が一番大事~」とか言われても、本当にそうなの?と首を傾げてしまいます。「一番大事」なことって、本来、何冊本を書いても、一生語り尽くしても、それでも足りない位の、そういうことではないかしら・・・?昔から、洋の東西を問わず、偉大な哲学者や倫理学者は、「一番大事」なことを巡って生涯を賭けて真剣に考えてきたのです。それでも明確な答えが出ない・・・それが本質だと思います。
それをお手軽に、1つの曲のワンフレーズで言い切ってしまう所に、軽薄さを感じてしまいます。
この点が、論理的な理由です。