2008/3/20
「意識」の継続性
弾力性のある1歳5カ月の娘の肌を触りながら、こう考えました。
私の1歳5カ月の時の肌も、きっとこうだったのだろう。そのときの細胞は、今、全部入れ替わっているのだろう。
・・・細胞は入れ替わっているのに、1歳5カ月のときも、今も、私は私です。それは、細胞と離れて独立して存在する「意識」が、細胞の死滅にもかかわらず、同一性を保ちながら存在しているためです。
「意識」について、宗教的には色々な説明がなされています。仏教やヒンズー教では、輪廻によってずーっと継続する魂であって、肉体は変わっても「意識=魂」は、永遠に生き続けます。キリスト教では、死んでも、「意識=魂」は、天国で生き続けます。
科学は、意識を脳細胞がつくりだした電気的信号と説明します。科学的には、脳信号の死は、すなわち、意識の死を意味します。
宗教と科学、どちらが正しいのか、どちらを信ずべきか、私は態度をまだ決め兼ねています。しかし、少なくとも、この世に生を受けて以来、継続性を保ち続けている「意識」が死と共に消滅する・・・と想像するのは、全く底の見えない絶望の淵をのぞかされているようで、とっても怖いし、むなしいです。
肉体の死は避けられないとして、私の実体である「意識」を永遠に保つ方法は何か?
宗教を信じるのは1つの道です。しかし、そこに踏み切れない私に残されているのは、「人の心の記憶」の中に生き続ける、ということです。それも、悪人ではなく、善人として生き続けたいです。
沢山の人でなくていい、一握りの人でいいから、何か自分(=意識)が良いことをしたその思い出が人の気持ちに中に残ってくれれば・・・本当に幸せだし、いざというとき、いささかなりとも、生き足りない!という悔いを残さずにこの世を去れるのではないかと考えています。