2008/3/12
なんで、私が東大に!?
大学受験予備校・四谷学院のキャッチコピーです。 最近、電車内の広告で見かけることが多くなり、昨日は日経新聞の一面の本の広告に掲載されていました。
このキャッチコピー、2つの意味に解釈できます。
1つ目は、そもそも私には東大に行けるだけの学力がなかったのに、東大に合格してしまった!というものです。四谷学院は、この意味でキャッチコピーを使っています。四谷学院に通ったから、学力のない私でも東大に入れた!ということです。ここでは、東大に入ることが素晴らしいことであることが暗黙の前提になっています。
2つ目は、東大は私にふさわしくなかったのに、道を誤って東大に入ってしまった!というものです。たとえば、世界一細い針を開発した岡野雅行氏は、金属深堀加工を極めるには中学生から工場で修行するのが一番だと言っています。本来、金属深堀加工を極めることがその人の人生にとってベストであるケースでは、東大に入ることは人生の無駄になります。こんな例は、いくらでも挙げることができます。
「なんで、私が東大に!?」がキャッチコピーとして成り立っているということは、1つ目の解釈が社会通念としてできあがっていて、東大に入ることは矢張り素晴らしいと信じられているということです。
しかし、この社会通念には、いくつかの疑念があります。
1つ目は、グローバル競争をしないと生き残っていけない状況の中で、世界的に見れば、学問の府として東大のレベルは高くない、ということです。海外からの留学生で、東大をハーバードやオックスフォードよりも高いポジションにおいている人は、非常に希だと思います。
2つ目は、東大に合格するための学問の質の問題です。日本の入試は、短時間に記憶してきた知識を吐き出す力を問う、いわば詰め込み型知識の優劣を競うものです。将来、官僚や裁判官になって、押し寄せる事務処理を有能にこなしていく人物を目指すのであれば、詰め込み型知識の豊富さも有用です。しかし、一寸先も闇のビジネス社会で自らの頭で考えて決断していかなければならない状況の下では、詰め込み型知識は役に立ちません。
3つ目は、人生を幸せに過ごす上で、必ず東大に合格することがベストの選択肢であるとは限らないということです。職人を目指すなら、中卒・高卒の方がベターです。国際的視野を育てたいなら、18歳から22歳の間、世界中を旅して、見聞を広める方が良いかも知れません。
以上、挙げた3点は、特に官僚の汚職が目立ち始めて、東大⇒官僚一直線の神話が崩れ始めてから、世間で語られることが多くなってきた気がしていました。しかしながら、「なんで、私が東大に!?」というキャッチコピーがまかり通る状況に照らせば、まだまだ日本の社会通念は、知識詰め込み偏重至上主義=東大至上主義なのかな、といささかガッカリした次第です。